開創当初は市庭寺と称し、文禄年間(一五九二~九六年)仙陽院日要上人代に久澤山実成寺と改称した。延寳五年(一六七七)収玄院日理上人代に至り寺運隆昌となり郡下村々の信徒を集めて大法要を開き、一乗妙法蓮華経を壱萬部通読したのを記念して萬部山一乗寺と改めた。
そのころには本堂・庫裡・鍾楼堂・七面堂、寺中に哲舟院、・玄長坊・東ノ坊の三坊があったが、後年火災のために七面堂と東ノ坊を除く諸堂は灰燼となりその後古材にて再建したが、
昭和四十六年一月第二十六世求道院日省上人代に全ての伽藍を建てかえ寺観を一新した。
第二十七世求法院日治上人代當山開創七百年及び日蓮大聖人立教開宗七百五十年の慶讃事業として山門改修・東門の新築・日蓮聖人銅像の銅像の建立・開山日秀聖人顕彰碑・開創七百年記念碑を建立して、後世への伝承とした。
現二十八世代になり、本堂内のバリアフリー化、椅子席などの改修を進め、参拝のし易いお寺を目指しています。
平成二十七年十一月九日には、日蓮大聖人お会式法要にて新日蓮聖人像を開眼・遷座致しました。