たかおじんじゃ
山梨県南都留郡西桂町小沼1493
「甲斐国志」(1814)神社部に「阿勢明神 除地畝歩、祭礼ハ十一月朔日・・・」とある。空胎上人の『甲斐神鈴峯之図』(1835頃)には「高尾宮」と記されており、明治七年(1874)『都留郡第四区神社規..
「甲斐国志」(1814)神社部に「阿勢明神 除地畝歩、祭礼ハ十一月朔日・・・」とある。空胎上人の『甲斐神鈴峯之図』(1835頃)には「高尾宮」と記されており、明治七年(1874)『都留郡第四区神社規模』には「阿勢大神社」とあり、現在は高尾神社となっている。古くから高尾マキの氏神として信仰されて高尾マキによって維持管理されている。 昔、下暮地村の五兵衛さんという人が身延山へ参拝に行った折に立派な丸い石を持ち帰り、高尾神社の傍で一休みしたところ石が急に重くなり三人がかりでも持ち上がらなくなった。これは石が「ここに居たいのだ」ということで、高尾神社へ奉納し、ご神体として祀られるようになったという。 祭日には相撲大会が行われ、高尾喜左衛門が白藤という四股名で相撲を取っていた。 近郷左在から大勢の人が集まり大変にぎやかであったという。
安勢(阿勢)明神
丸石
11月