こさわいつくしまじんじゃ
和歌山県伊都郡九度山町大字上古澤鳥居元41番地
以下、和歌山県神社庁HPより引用
上古澤駅におりたつと、眼下に嚴島の鎮守の森が見える。 境内のまわりを不動谷川が流れ、その形は琵琶に似て弁才天(嚴島神の別名)にふさわしい地形である。 石造..
上古澤駅におりたつと、眼下に嚴島の鎮守の森が見える。 境内のまわりを不動谷川が流れ、その形は琵琶に似て弁才天(嚴島神の別名)にふさわしい地形である。 石造りの鳥居をくぐると、樹齢数百年(県指定天然記念物)の大いちょうが境内をおおっている。 当神社の草創は、明治維新の神仏判然令(神仏分離)により、別当寺に属していた本地堂、薬師堂、鐘楼、舞台等取払われた折、古文書等を紛失した。 古代の古澤は祭政共に天野明神に属していたから、嚴島神社が氏神として祀られたのは、天野神領が高野寺領となってからであろうといわれる。 また空海の弁才天信仰は有名であるが、承元元(1208)年行勝上人が敦賀の気比、安芸の嚴島二神を天野明神に勧請合祀、四社明神を奉祀したことからも創建はこの頃ではないかと思われる。 昔を知る手がかりとしては、8月16日に執り行なわれる傘鉾神事(五穀豊饒祈願、雨乞い)、例祭日には流鏑馬と、えびすのお渡り(豊年感謝)神事が行なわれていたが、いつの頃からか流鏑馬は途絶えてしまった。 傘鉾神事は元禄13(1700)年より伝わる行事で傘鉾3基を先頭に、若衆33名が素足にて笹の葉を持ち、笛、太鼓の囃で練り歩き五穀豊饒を祈り雨乞いをする。 当地は古くより紙すき(古澤紙=高野紙)の産地と知られ、紙すきえびす講を結成して、各郷を輪番にてえびす神を祀り、紙すきの繁栄を願う祭事が営まれていたと伝えられている。 明治10年9月より同44年1月までに笠木、上古澤、中古澤、下古澤、椎出に鎮座する小社を悉く当神社に合祀する。 平成17年6月9日能装束等は国指定重要文化財に指定される。