ほっけどうあと
神奈川県鎌倉市西御門2-5
法華堂跡(源頼朝墓)は、神奈川県の南東部に位置し、大蔵幕府跡推定地北側の山稜部とその南側山裾部に所在。昭和二年の山稜中腹部の塚と石塔を源頼朝墓、山裾部の廟所跡(現在の白旗神社境内)を法華堂跡として史..
法華堂跡(源頼朝墓)は、神奈川県の南東部に位置し、大蔵幕府跡推定地北側の山稜部とその南側山裾部に所在。昭和二年の山稜中腹部の塚と石塔を源頼朝墓、山裾部の廟所跡(現在の白旗神社境内)を法華堂跡として史跡指定した。その後、赤星直忠氏の研究により、源頼朝墓は法華堂と同一で、中腹の平場が法華堂跡であることが明らかにされ、平成12年に法華堂跡(源頼朝墓)に統合・名称変更された。 二代執権、北条義時は元仁元年(1224)年6月13日に死去し、18日に葬儀が執り行われた。『吾妻鏡』18日条に「故右大将家法華堂東の山上を以て墳墓となす」、8月8日条に「今日。故奥州禅室墳墓堂<新法花堂と号す。>供養なり」とあり、法華堂跡(源頼朝墓)の東隣の山稜平坦地が北条義時の法華堂跡と推定されていた。『吾妻鏡』をはじめとする文献史料には、幕府有力者が頼朝法華堂と義時法華堂を併せて参拝したこと、焼亡した両法華堂が幕府によって再興され、修復維持されていたことなどが記されている。
JR鎌倉駅東口4番・5番バス乗り場から八幡宮行きで「岐れ道」下車徒歩3分 または、JR鎌倉駅東口から徒歩23分
無料
約30分
無し