とうしょうじあと
神奈川県鎌倉市小町3丁目付近
鎌倉幕府の執権として活躍した北条氏の菩提寺で、関東十刹の一つ。開山は栄西の弟子の退耕行勇、開基は北条泰時。本朝高僧伝によると退耕行勇は、1241年(仁治2年)東勝寺で示寂。1225年(嘉禄元年)、執..
鎌倉幕府の執権として活躍した北条氏の菩提寺で、関東十刹の一つ。開山は栄西の弟子の退耕行勇、開基は北条泰時。本朝高僧伝によると退耕行勇は、1241年(仁治2年)東勝寺で示寂。1225年(嘉禄元年)、執権となった北条泰時は鎌倉の鶴岡八幡宮境内の南東、滑川をこえた葛西ケ谷の谷間に当寺を築き、北条一族の菩提寺とした。この寺は、菩提寺であると同時に有事に備えた城塞の意味をもった寺院であったと推測される。1333年(元弘3年)、後醍醐天皇に呼応して鎌倉に攻め寄せた新田義貞の軍勢を迎え撃つべく、北条高時ら北条氏一門が当寺に篭もったが、成すすべもなく自ら火を放って自刃した(東勝寺合戦)。太平記によると、自害した者は一族・家臣283人、あとに続いた兵も合わせて870人余。
なし