みょうげんじ
愛知県岡崎市大和町字沓市場65
文暦2年(1235年)、親鸞が関東より帰郷する途中、当地に立ち寄ったことが始まりとされる。付近の領主安藤薩摩守信平は親鸞を柳堂(以前は「太子堂」といった)に招き説法を聞いた。上人の教えに感化された安..
文暦2年(1235年)、親鸞が関東より帰郷する途中、当地に立ち寄ったことが始まりとされる。付近の領主安藤薩摩守信平は親鸞を柳堂(以前は「太子堂」といった)に招き説法を聞いた。上人の教えに感化された安藤信平は武門を仏門に入り念信と改名。正嘉2年(1258年)に寺を建て、これを明眼寺(みょうげんじ)と名付けたと伝えられる。16世紀の高田派の応真と真智による相続争いに際しては、満性寺とともに真智方の中心寺院として活動したため、次第に権威は後退した。三河一向一揆(1563年~1564年)の際、徳川家康は本寺に身を寄せ難を逃れた。これにより家康から「源」の一字を与えられ、妙源寺と改称した。三河地方の真宗の道場で最も古い道場と言われている。
桑子山
真宗高田派
(伝)1258年(正嘉2年)
阿弥陀如来
国指定 重要文化財 太子堂(柳堂) 絹本著色善光寺如来絵伝 3幅 絹本著色法然上人絵伝 3幅 絹本著色親鸞上人絵伝 3幅 絹本著色光明本尊 3幅
JR 西岡崎駅徒歩3分
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