すがいはちまんじんじゃ
徳島県板野郡板野町下庄字栖養65
旧神饌幣帛料供進神社。この地は古くから真弓原、栖養の里と呼ばれ、地主権現を祭る松杉などの茂る森であった。承久(13世紀前半)土御門上皇がこの地に行在所を営まれた折、京都の石清水八幡宮よりその御分霊を..
旧神饌幣帛料供進神社。この地は古くから真弓原、栖養の里と呼ばれ、地主権現を祭る松杉などの茂る森であった。承久(13世紀前半)土御門上皇がこの地に行在所を営まれた折、京都の石清水八幡宮よりその御分霊を勧請されたと伝えられている。その後、細川・三好の崇敬社となったが、天正10年(1582)長宗我部軍乱入により、社殿、宝物など全てを焼失した。寛文12年(1672)蜂須賀公家臣、伴藤太夫貞茂は社殿を復旧し、甲冑2領槍2筋を奉納し、田畑を寄進したと伝えられる。明治4年(1871)郷社に列せられ、大正8年(1919)2月、道祖神社他6社を合祀、更に昭和3年春日神社を合併して今日に及んでいる。
應神天皇(おうじんてんのう) 猿田彦命(さるたひこのみこと) 野槌命(のづちのみこと) 市杵島媛命(いちきしまひめのみこと) 事代主命(ことしろぬしのみこと) 土御門天皇(つちみかどてんのう) 菅原道真公 神直日神(かんなおびのかみ) 建御賀槌神(たけみかづちのかみ) 経津主神(ふつぬしのかみ) 天児屋根神(あめこやねのかみ) 姫神(ひめのかみ)
旧郷社
承久年間(13世紀前半)
10月23日(10月第4日曜日)