くまのじんじゃ
和歌山県海草郡紀美野町田22番地
以下、和歌山県神社庁公式HPより引用
当社の創建については、桓武天皇の御代征夷大将軍となり蝦夷征伐や京都清水寺の創建者として知られる坂上田村麻呂縁の神社として、次のように伝えられている。 坂..
当社の創建については、桓武天皇の御代征夷大将軍となり蝦夷征伐や京都清水寺の創建者として知られる坂上田村麻呂縁の神社として、次のように伝えられている。 坂上田村麻呂が若き頃、紀の川沿いに紀の国に入り、丸栖村(現紀の川市丸栖)まで来たとき、紀の川に合流する貴志川を弓の矢に適した「片芽竹」の枝が流れてくるのを発見した。 田村麻呂は、その竹薮を捜し求め貴志川を遡り、ついに滝野川口(現紀美野町中藤の森)で片芽竹の藪を発見した。 田村麻呂はその後、当地で3年間滞在し、村の娘との間に一子を成したが、いよいよこの地を離れるに際し、村と我子の守護神として熊野から勧請したのが熊野神社の始まりであると云う。 以後、その子孫が代々宮司を務め、猿川荘(現紀美野町田 外6字)の総氏神として奉斎されてきた。 境内には、田村麻呂を偲ぶものとして、田村麻呂お手植えと伝えられる「将軍桜」(現在四代目)と「将軍塚」と呼ばれる宝篋印塔(県指定文化財)がある。 また、かつて境外に田村麻呂念仏と伝えられる阿弥陀仏を安置した社家所有の「田村堂」(田村屋敷)があったが、昭和初期撤去された。 現在の社殿は、旧社殿老朽化のため、昭和46年に全面改築したものであるが、本殿は春日造2殿から同1殿となった。 かつて、春は桜の名所として、また秋の大祭には境内の馬場で「馬駆け」が行われ賑わった。 秋の大祭に古くから奉納される「獅子舞」「囃子」「楽車」は、現在も氏子により継承されている。