わかみやはちまんじんじゃ
埼玉県東松山市石橋2240
当所石橋の八幡神社は誉田別尊(応神天皇)を主祭神と齋きまつり明治40年3月23日宇附川稲荷神社、城山五社大神,上宿愛宕神社を合祀せる古社なり。 昔大神は深く内外の政治に大御心を用いられ文学を奨励し..
当所石橋の八幡神社は誉田別尊(応神天皇)を主祭神と齋きまつり明治40年3月23日宇附川稲荷神社、城山五社大神,上宿愛宕神社を合祀せる古社なり。 昔大神は深く内外の政治に大御心を用いられ文学を奨励し殖産興業を盛んにし数多の池溝を開き潅漑の便を計り又大船を作り交通の道をも開かれ当時国内は勿論韓国との交通甚だ頻繁となし海外の文化を導入し謙譲忍耐、和表、協同の徳をもって国家を安泰し国民を安んじ給えり、 されば大神は厄除開運の御神徳と共に文教及び産業の守護神として万人齋し、尊崇する中に当社は私達祖先により慶長元年(1596)村内守護のため此の地の古墳上に社殿をを造営し相模国鎌倉の鶴岡八幡宮より神霊を文祀し代々祭祀怠らず厚き神護の下営々として村づくりにいそしみ来たれり。 爾来星霜移り社殿の老朽甚だしく再建の議澎湃として起り昭和48年12月16日竣工淨闇の裡に壮麗清浄の新殿に神霊を奉安し盛大に奉祝今日に及ぶ而して今や神威益々赫々の光を発し氏子崇敬者を鎮守し給え御神徳の洪大なるを偲ばしむ。
誉田別尊(応神天皇) 倉稲魂命 武御名方命 菅原道真 別雷命 素盞鳴命 軻遇突智命
旧指定村社
若宮八幡古墳(埼玉県指定史跡)