当社の創始については、旧記が存在せず、詳らかにしないが、元禄5年(1693)10月の棟札が残されていることよりすれば、少なくとも江戸中期までは遡及できる。一方、祭神については、正徳2年(1712)10月の棟札に「奉造立金山彦命御社」とあり、金山彦命を祭神としていたことに疑う余地ないが、天保10年(1839)に成立した『紀伊続風土記』に「祀神詳ならず」とあり、その頃に既に判然としない状態に陥っていたと解される。尚、前掲書によると、当社の摂社に伊弉冉尊社があり、産土神として氏子の崇敬を集めていたことが分かる。また、当地には幕末に至るまで神仏習合の風が残り、曹洞宗普門寺という別当寺が当社を寺鎮守としていたが、明治初期になると両者はは完全に分離され、その時点で氏子の大半は神葬祭に改宗した。しかし、現在は旧に復している。