じっきょうじ
岡山県岡山市東区瀬戸町鍛冶屋1504−2
本住山 実教寺は、南北朝時代に大覚大僧正の開基と伝えています。 室町時代の頃は、寺領も広く、格式も高く、信徒も多かったのですが、江戸時代となり、寛永9年(1633年)に生じた火事により、全ての堂宇..
本住山 実教寺は、南北朝時代に大覚大僧正の開基と伝えています。 室町時代の頃は、寺領も広く、格式も高く、信徒も多かったのですが、江戸時代となり、寛永9年(1633年)に生じた火事により、全ての堂宇を失い、妙興寺に身を寄せて、一院を構え、僅かにその法灯を保っていたが、正保元年(1644年)、藩主池田光政に請い旧知の十分の1の寺領をもって、再興を許されたという時期もあった。正保 2年(1645)池田光政の叔父の播州赤穂刈屋城主池田輝興が事件を起こして岡山藩にお預けになった時、光政はての閉門幽閉の場を、この實教寺にしています。代々の住職は、妙興寺との関係が深く、名僧、智僧といわれる人が多くなっています。19世日惺は、将軍家康と親交があり、池上本門寺の12世でもあり、21世日是は、慈悲深くその善行を藩主光政より賞せられ毎年米五石を賜っています。明治4年(1871)福岡を直撃した大洪水により、大門、庫裏など殆どの建物に大きな被害を受けて次第に衰弱し、ついに明治37年(1904)瀬戸町鍛冶屋へ移転した。
本住山
日蓮宗
釈迦如来
大覚妙実
万富駅[出口]から徒歩約18分
無料
有り