やまじんじゃようはいしょ
宮城県柴田郡柴田町四日市場字炭釜157
この地に往昔「鬼石」と呼ぶ大石あり、この下より湧き流れる水を飲んだ者は必ず病に陥り或は、死する者有り、村人は嘆き悲しみの時期、永徳二年(1559)弥生の頃、山城国葛野郡平野(現在の京都市)の僧・宥法..
この地に往昔「鬼石」と呼ぶ大石あり、この下より湧き流れる水を飲んだ者は必ず病に陥り或は、死する者有り、村人は嘆き悲しみの時期、永徳二年(1559)弥生の頃、山城国葛野郡平野(現在の京都市)の僧・宥法修験の行脚の砌、村人の哀願に逢い宥法この地に草居し七日七夜加持祈祷をしたところ、水毒は消失する、それはかりか病者は直ちに平癒した。この霊験により僧宥法は、この地は神の叶う処と悟り、この清水を「延命水」と名付け、自らこの地に堂宇を奉り、雲南大権現と称し、別当も設け、鬼石山来光院延命寺と定め、以後この霊水を延命水と言い伝え候。ご社殿は、永徳二年引地山城守の建立であったが、桃山時代の文禄二年火災のため、神鏡を残して消失した。慶長二年(1597)引地山城守の分家、肝入七郎右衛門によって、再建された社宇が現在の神社であり、明治五年、山神社と改称し同六年村守に列せられた。※神社庁より
令和4年4月に社務所隣りにあるcafeオープン予定
大山津見神・木乃花佐久姫神 配祀 大雷神
4月3日
あり