創建年代不詳なるも野村藩記録によれば大和國中山立願寺日記下長瀬村は往古灯明寺領に之有。その後葛畑料云々とあり。また保延年中美濃國守菅原葛畑大臣六社明神を勧請創建云々とあり。弘治永禄の頃土岐氏の一族頼政又は信照野村に在城の際、清水の主林七郎ェ門と堺論を為し、長瀬郷士汲田道寿をして六社大明神を鎮守氏神として社殿を造営せしめられたり。慶長六年大垣城主石川長門守々十二年石川日向守、同十四年石川主殿頭六社大明神を御崇敬せられたり。(歴代城主名につき中略)慶安二年二月奉改造六社大明神。宝殿並に拝殿あり。元禄二年八月奉葺替。正徳四年二月、天明二年三月、元治元年七月、明治元年、明治二年修理葺替度々に及ぶ。以下略