いずみじょう
鹿児島県出水市麓町
出水城は島津氏9代・島津忠国の弟である島津用久が城主をつとめた城です。用久が薩摩守を称したことから「薩州家(薩州島津家)」と呼ばれ、代々出水城を本拠としました。島津忠辰が城主の1593年(文禄2年)..
出水城は島津氏9代・島津忠国の弟である島津用久が城主をつとめた城です。用久が薩摩守を称したことから「薩州家(薩州島津家)」と呼ばれ、代々出水城を本拠としました。島津忠辰が城主の1593年(文禄2年)、朝鮮出兵(文禄の役)において島津義弘に従うよう豊臣秀吉に命じられたものの、これに従わず薩州家は改易となります。一時は秀吉の直轄領になりましたが、「慶長の役」での島津氏への恩賞として1599年(慶長4年)に返還されると、島津忠恒は地頭として本田正親を任命しました。