せいがんじ
岐阜県羽島郡笠松町西町57
創建年代は不詳。もとは天台宗の尼寺・梅空庵で、関ケ原の戦いが起こった頃に焼失して本尊1尺5寸のみ残った状態となり実質的に廃寺となっていた。 尾張国中島郡戸刈村内藤利兵衛の子が一宮常念寺に入り博龍の..
創建年代は不詳。もとは天台宗の尼寺・梅空庵で、関ケ原の戦いが起こった頃に焼失して本尊1尺5寸のみ残った状態となり実質的に廃寺となっていた。 尾張国中島郡戸刈村内藤利兵衛の子が一宮常念寺に入り博龍の法弟となり、泰龍と称した。泰龍はやがて山県郡石原村醍醐寺へうつり、明治12年(1879年)5月に梅空庵を再興し、同年12月6日づけで県から許可を得た。 明治24年(1891年)10月、濃尾地震により堂宇が倒壊したが、翌年柳原町に6畝15歩の宅地を得て5間4面の本堂を再建された(のち元の地に戻った)。この後は2世・誠然、3世・博立と続くが3世没後は無住となり、門間の慈眼寺が兼務している。
西町(にしまち)にある西山浄土宗の寺院。
梅空山
浄土宗
西山浄土宗
不詳
阿弥陀如来
泰龍
1879年(明治12年)5月
梅空山誓願寺
美濃新四国旧第11番札所
有り(山門前)