いぬつぐじんじゃ
兵庫県西脇市堀町420−3
この地は「播磨風土記」によると、託賀群都麻里(たかぐんつまのさと)の比也野に当たり、「品太天皇(応神天皇)がこの地の山で猟をされた時、一頭の鹿が前に立って比比 と鳴いた。 この声を聴かれた天皇は、..
この地は「播磨風土記」によると、託賀群都麻里(たかぐんつまのさと)の比也野に当たり、「品太天皇(応神天皇)がこの地の山で猟をされた時、一頭の鹿が前に立って比比 と鳴いた。 この声を聴かれた天皇は、供人に命じて射ることを止められた。 それ故にその山を比也山、その辺り一帯の野を比也野と呼ぶようになった」とある。
また、鈴堀山につては、「品太天皇がこの地に巡幸されたとき、この山で鈴を落とされた、探したが見当たらず、故に鈴堀山という」とある。 現在の「堀町」の名称はこれを起源としている。
また、同じ条に「天皇の御猟犬が猪と戦って死んだ、そこで墓を作って葬ることになった、この岡の西にある犬墓がそれである」とある。
当神社はその犬を葬った地に建立されいる。「犬次神社」は、すなわち、「犬塚神社」の転訛である。
建立年代は不詳だが、現在まで当神社が安産の神として近郷の人々の崇敬を集めているのは、犬は出産が軽いことから妊婦の腹帯を戌の日に締める風習に基づいた信仰によるものである。 当神社が安産守護の神とされる所以である。『犬次神社由緒より』
播磨風土記の託賀郡の条の 応神天皇の御猟犬『麻奈志漏(まなしろ)』を葬った墓「犬塚」がある地に建立。
犬次大神
村社
不詳