ちょうせんじ
福島県石川郡石川町字高田271
永享8年(1436)この地を治める三芦城主石川持光公は父の菩提を弔うため、相模国大雄山最乗寺から即庵宗覚和尚を招き高源山長泉寺を開創しました。 天正18年(1590)太閤秀吉の奥州仕置により、石川..
永享8年(1436)この地を治める三芦城主石川持光公は父の菩提を弔うため、相模国大雄山最乗寺から即庵宗覚和尚を招き高源山長泉寺を開創しました。 天正18年(1590)太閤秀吉の奥州仕置により、石川昭光公は全所領を没収され、甥の伊達政宗公を頼り家臣団と共にこの地を後にしました。庇護者を失った当山は困窮を極めたと思われる。 しかし残った家臣や地域の住民の支えにより法灯が守られた。 それから160年後の江戸中頃、二十二世東林寂照和尚により再興され、長泉寺は再び曹洞宗の歴史に現れます。
前身の天台宗地蔵院のご本尊を長泉寺の現座道場本尊として祀られている。(慈覚大師御作)
高源山
曹洞宗
永享8年(1436)
延命地蔵尊
二十二世東林寂照和尚
あり