はってんいなりじんじゃ
山形県西村山郡朝日町四ノ沢735
創立年代は明確ではないが元禄五年 米沢藩御用商人西村兄弟が荒砥長崎間の水路 を開削し以来米沢藩の蔵米蔵苧を運ぶ舟運が 開通する。然し五百川峡谷に多く難所があり 破舟事故が度々起き米沢藩では各難所に舟..
創立年代は明確ではないが元禄五年 米沢藩御用商人西村兄弟が荒砥長崎間の水路 を開削し以来米沢藩の蔵米蔵苧を運ぶ舟運が 開通する。然し五百川峡谷に多く難所があり 破舟事故が度々起き米沢藩では各難所に舟運の無事を祈る神社を創って航行の安全を祈願 している。当八天神社も最上川河岸段丘の字 三ツ瀬に創られ航行の無事を祈る神社であっ た以後付近村衆の信仰する神社となり特に 四ノ沢村の氏神として享保の頃社地に杉を植 え村人が社地手入も行っていた。嘉永六年大 庄屋鈴木惣三郎と神社及社地の所有権争いが 起きている。 又大庄屋は神社の杉を無断で売 払い神社廻り造田を起こした為神社の台輪柱 造腐り始めて居るので名主始め氏子一同は木 立一本もなく、更地にいたんだ神社では保てない 又村から半道も遠く老人女子供のお参りの便も 悪いし村近くの土地を六郎治が寄付し安政五年 五月役所の許可を得現在地に移転している。 昭和七年社殿の改築を行い現在に至っている。
大難所八天(四ノ沢)でも、度々船が転覆し舟人が溺れ多くの積荷が沈みました。享保8年(1723)米沢藩ではこれを深く憂え「これは魔神の祟りならん」と、家臣を川底に潜らせたところ、燦然と輝く神玉石が見つかりました。さっそく川辺に稲荷大明神...
宇迦御魂命
十三級社 旧村社
四月十九日 (四月第4日曜日とする)
有り