第五十一代平城天皇の御代、大同二年、加賀の国の浪士源剛久なる者、白山神霊 を持し諸国を遍歴しこの地に居を定め、「入 山」の頂上花社寺悫建立し、神霊を奉安する。
慶長年中、最上義光の領地となり、たまたま 義光の姫が痘瘡に罹り、奥方が病気平穏を当 社に祈願して全快したので信仰の念益々厚く、 その後義光の次男山辺右エ門の領地となり、 祈願所となって、年々武運長久を祈願し、 柴 燈護摩を執行する。此の山より護摩を撰伐す ることを以て柴燈山と称する。その後寛延元 年、山頂に登拝するのが不便なので現在の社 地に遷座する。明治までは真言宗智山派 「柴 燈山白山寺三蔵院」と称していた。 明治七年二月村社に列格する。