東泉寺の創建は天正2年(1574)に開かれたのが始まりとされます。境内に建立されている「寛永白岩領騒動間沢村三霊供養碑」は寛永15年(1638)に当地で発生した「白岩領騒動」の犠牲者の33回忌供養の為に寛文10年(1670)に建立されたもので、供養塔に刻まれた「月山永公禅定門」、「常秀道眼禅定門」、「空假是心禅定門」の3名の法名は間沢村出身者とされます。当時の白岩領の領主酒井忠重は徳川家康の従兄弟にあたる酒井家次の3男で、祖父である酒井忠次(徳川四天王、徳川十六神将)の養子となっています。
元和8年(1622)に出羽国村山郡白岩領4千石(後に8千石)の領主となりますが、度重なる圧制を敷いた為、約千人の餓死者が発生したとされ、寛永10年(1633)に農民一揆となり幕府に訴えられました。寛永15年(1638)、幕府の裁定により忠重は改易となり本家筋に当たる庄内藩主酒井忠勝に預けられ白岩領は天領となり小林十郎左衛門が代官として就任しました。しかし、小林代官も忠重と変わらず重税を課した為、再び騒動となり、処置に困った小林代官は山形藩主保科正之に助けを請うと、正之は訴えを聞き届けるとの嘘言を発し、一揆の首謀者を山形城に呼び寄せると、その間隙を突いて藩兵を白岩に派兵し一揆を鎮圧し主だった36名が処刑されました。
「寛永白岩領騒動間沢村三霊供養碑」は貴重な事から平成11年(1999)に西川町指定文化財に指定されています。東泉寺山門は切妻、銅板葺、三間一戸、八脚単層門、両側には隻眼の仁王像が安置されています。本堂は入母屋、鉄板葺、平入、桁行6間、梁間4.5間、正面1間唐破風向拝付、外壁は真壁造り、白漆喰仕上げ、向拝には龍や獅子の彫刻が施され、当地出身の彫刻師集団である高山一門が手掛けたとされます。宗派:曹洞宗。