羽黒神社は山形県南陽市椚塚に鎮座している神社です。羽黒神社の創建年の詳細は不明ですが平安時代中期、藤原氏縁の佐藤右兵衛介(藤原公清の孫)がこの地に城(椚塚館)を築き、その鎮守社として石祠を建立し天下泰平、五穀豊穣、悪魔降伏を祈願したのが始まりとされます(※藤原公清は平安時代後期から鎌倉時代初期[仁安元年:1166年~安貞2年:1228年]の公卿なので、その孫とされる佐藤右兵衛介が平安時代中期に創建したとは考えにくい。又、前九年合戦の折、源頼義、義家父子が戦勝祈願との伝承も伝えられています)。
境内は比高約10m程の高台で頂上に本丸を設けて周囲には郭や土塁と思われる土盛が見られるそうです。その後天保3年(1832)に村人である佐藤鶴次が出羽神社の分霊を勧請し羽黒大権現とし羽黒山の直社となっています。古くから神仏習合していましたが明治時代初頭に発令された神仏分離令により仏教色が一掃され「羽黒神社」に社号を改められ明治6年(1873)に村社に列しています。
現在の羽黒神社社殿は明治23年(1890)に再建されたもので拝殿は木造平屋建て、入母屋、銅板葺、平入、正面千鳥破風、桁行6間、正面1間向拝付。現在でも御神体に5体の観音像(平安期)が安置され境内には数多くの石碑などがあり、神仏混合の名残が見られます。祭神:稲倉魂命。