すいそぐうかなむらごんげんしゃ
福岡県田川郡糸田町原1807
福岡県神社誌には、次のような泌泉伝説か記されています。 「糸田荘金村権現宮は天智天皇7年(668)年秋8月、右大臣金連公によって造営された物である。公が天皇に従い筑紫要害を巡視のおり、糸田の郷に..
福岡県神社誌には、次のような泌泉伝説か記されています。 「糸田荘金村権現宮は天智天皇7年(668)年秋8月、右大臣金連公によって造営された物である。公が天皇に従い筑紫要害を巡視のおり、糸田の郷に至り、権現の示現を蒙った。鉾をもって探知したところ神泉を得、灌漑に多いに役に立った」灌漑でも泌ががり180町歩(180ヘクタール)を潤しています。 泌泉は現在、鉱害によって水が止まっていますが、「いとよき田」で糸田の名称起源とも言われております。 この泌泉は、平成10年6月30日に町指定史跡になっております。
平成筑豊鉄道、糸田駅から徒歩約25分
無し
無料
10分
有り