ふながたじんじゃ
宮城県加美郡色麻町小栗山獄山1
四十二代文武天皇の慶雲四丁未年(元年とも 七〇七、飛鳥)の勧請にかゝり、船形十二社権 現社 船形権現社と称した。 天台宗妻帯衆徒表 口小栗山村に十有五員、裏口青野に五員合わせ 二十坊を麓の地に置き、..
四十二代文武天皇の慶雲四丁未年(元年とも 七〇七、飛鳥)の勧請にかゝり、船形十二社権 現社 船形権現社と称した。 天台宗妻帯衆徒表 口小栗山村に十有五員、裏口青野に五員合わせ 二十坊を麓の地に置き、是に三明坊を山主別 当職に補し船形山鶏運寺と号した。即ち快永の 裔孫応永中修験となり子孫相続別当を勤めた。 毎歳の祭日は四月八日、九月八日から十月八日 に至る三十日間五穀豊穣を祈る。 これを飯豊神 祭という。当郡毎村正月には船形山福田精進と 称し、二夜三日潔斎し又年穀の豊穣を乞う。田 植が終へて部落全員が参拝する慣例がある。こ れを「五月詣り」といっている。冬至祈祷には 旧園主より米金若干を寄進し、永享十年小栗山 城主源吉重(大崎家臣仁木六郎)は社殿を修造する等武門の崇敬も厚かった。明治五年三月村社に列する。
旧村社