寿永3年(1184年)の宇治川の先陣で平家と戦ってその名を馳せ、更に、文治5年(1189年)の源頼朝の奥州征伐に従って戦功のあったことでよく知られる大串重親が武蔵国一の宮の氷川神社(武蔵一宮氷川神社)を勧請したものとされ、祭神は須佐之男命である。
また、『比企郡神社誌』には「口碑に永徳(1381-84年)及び元禄(1688-1704年)の社殿造営を伝ふる」との記事があり、境内の享保17年(1732年)銘の石灯籠には「正一位氷川大明神」とあることから、江戸中期には極位が授与されていたことがわかる。