日本武尊が東征に際し、武蔵国足立郡氷川神社に詣うで征夷降伏を祈り、分霊をこの地に奉斎したと伝えられ、足立の地名もこれに困る。もと足立郷字社地神に御鎮座ありしを慶長14年4月今の筑地山に移遷する。同16年(1611)2月8日伊達政宗の夫人乳を祈って霊験あり同年4月報賽のため拝殿両側に記念木を植え金子一両二分を寄進した。これを右相楓、左相楓と称し今なお繁茂している。後、藩主吉村の崇敬厚く元禄16年(1703)郡司地頭並びに代官等をして社殿を経営せしめたことが棟札に記され、又、宝暦・天明・寛政・享保年中にも修造されている。なお、祭神が姫神(縁結びの神)、乳母の神である故近郷近在県内外の遠隔の地から参詣者が多く親しまれている。明治のはじめ現社号に改め、同5年村社に加列。大正10年10月供進社に指定された。