奈良時代の神亀4年に諸国を巡っていた行基菩薩が巡錫し草庵を建立したのが始まりで自ら本尊十一面千手観音を彫刻し安置したそうです
平安時代の大同2年に弘法大師が巡錫し不動明王と毘沙門天を刻み脇侍として安置したそうです
本坊蓮浄院のほかに山内に僧坊12坊を数え真言密教の道場として栄えましたが、室町時代の応仁の乱により焼失したそうです
その後、天文4年に客殿を建立、永禄2年には英賀郡呰部庄丸山城主庄兵部大輔勝資が本堂を再建、天正6年に庫裡を建立し、慶長9年には松山城番小堀作介(政一)から寺領十石の貴信を受けたそうです