まつえいつきじんじゃ
岡山県岡山市東区邑久郷
神武天皇東征の砌、神武天皇と皇兄五瀬命は日向より海路吉備高島を経由し太伯(邑久)の海に到り兵食を備蓄し舟櫂を修補し太伯の海から東行し難波の碕に到り河内の国にて長髄彦と挑戦し五瀬命は戦死し、神武天皇は..
神武天皇東征の砌、神武天皇と皇兄五瀬命は日向より海路吉備高島を経由し太伯(邑久)の海に到り兵食を備蓄し舟櫂を修補し太伯の海から東行し難波の碕に到り河内の国にて長髄彦と挑戦し五瀬命は戦死し、神武天皇は五瀬命ゆかりの御在所跡に霊宮を建営した 鎌倉時代の弘安8年の備前国神明帳の邑久郡に正五位下松江伊津岐明神と記載されている その後安仁神社より神官が奉務して摂社となった 明治時代に松江伊津岐神社と改称して村社に列した
五瀬命 若御毛沼命(神武天皇)
村社
入母屋造
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