ながふくろしんめいしゃ
宮城県仙台市太白区秋保町長袋字上原40
この神社は、奥州神明社七社の一つに数えられたといわれ、元々仙台市大町に祀られていたが、江戸期のはじめ神主が放免されて廃社となったため、門人等が秋保に移したといわれる。さらに同じ頃各方面から人を集め現..
この神社は、奥州神明社七社の一つに数えられたといわれ、元々仙台市大町に祀られていたが、江戸期のはじめ神主が放免されて廃社となったため、門人等が秋保に移したといわれる。さらに同じ頃各方面から人を集め現在の長袋町の集落げ形成されるが、人々の間ではお伊勢参りが盛んなあまり、高額な旅費確保のため財産を失う者が続出したので、やむなく伊勢神宮を勧請、神明社を創建し、これに代えたとも云われている。 明治42年無格合祀の命令により、諏訪人事〈現在の秋保神社〉に合祀された。
【長袋の田植踊】 踊に用いられる太鼓の胴には元禄2年(1689)の紀年銘が見られた、という文献が残されているが、田植踊自体の由来は必ずしも明らかではない。数十年のあいだ途絶えていた長袋の田植踊は昭和6年に復興された。
天照皇大神、豊受皇大神
あり
無し