天正天皇御養老2年、天竺より増善無畏三蔵真言密教法を広めんが為我が日本へ来たり
し際、堂字を建立して素戔命の神霊を祀りしという。天正天皇国家鎮護の守り神として勅願所となし賜えり。国史見在社。但し、社領として近郷七ヶ村の田地を下賜せらる。源木曽義仲俱利伽羅合戦に勝ちて太刀一振り寄進せらる。建久7年10月19日、将軍源頼朝、武運祈誓のため、社へ社領として東西南北
四至を限り数多くの地所を寄進せらる。慶長16年前田家より利伽羅一村一山、131石7
斗、武運祈誓のため社へ寄進せらる。慶長
5年、前田利長建立せられたるも、天保7
年、民家より出火し社殿等悉く焼失せり。現今の建物は粗末なれども過半、源頼朝の建立せし石造りのみ。但し、慶長以来前田氏の祈願所たるを以て、修繕は総て藩費にて支弁せらる。所謂、御作事ヶ所と称す。毎年作事
奉行出張して社殿等を修繕す。社蔵その他古文書、源頼朝将軍下文一巻。