当社勧請の時期については詳にし難い。明治五年(一八七二)各新田の明細帳によれば「外平喜新田 一神明宮 一社」「川中彦作新田 一神明宮 一社(中略)右者外平喜新田と両村之氏神と相祭申候(以下略)」とあって外平喜新田、川中彦作新田共通の氏神として奉斎されていたことが判る。同四三年(一九〇九)当社を含め二〇余社を近江島神社跡に合祀し、木曽岬神社として単称奉斎された。その後、氏子崇敬者の総意により、昭和二一年(一九四六)分祀され現鎮座地に再度奉斎された。同二六年四月宗教法人として届け出、現在に至っている。