応神天皇の神霊は元明天皇和銅三年(710)の御出顕で、御父仲哀天皇御母神功皇后の神霊は後に合わせ祭る、とある。応神天皇の御神霊を八幡大神と称し奉るは、人皇三十代欽明天皇の御宇二九年(568)豊前国宇佐郡宇佐の亀山(小椋山・菱形山)の麓に三才の小児とあらわれ「吾れは、応神天皇の神霊広幡八幡麻呂なり」と大神比義に諭された。
その後神殿を造営するにあたり、人皇四三代元明天皇和銅三年(710)この鷹居山に三才の小児が鷹となって飛来し、再度大神比義に諭された。
比義は朝廷に社殿のご造営を奏され、ここに八幡大神の神霊を祀る最初の霊地「やしろ」が造営された。霊亀二年(716)、この官道(国道)は人の往来が激しいので小山田の林に移りたいとの託宣により、小山田社に移祀され、またこの小山田社も境内がせまいので小椋山に移りたいとして神亀二年(725)現在の宇佐神宮へ移祀された。以後この鷹居社・小山田社の二社は、江戸末期まで宇佐神宮の摂社として存続したが、明治維新以後各神社は地域住民の鎮守のヤシロとされた。