すかまじんじゃ
福井県三方郡美浜町菅浜98-3
天八百萬比咩命は上古より養蚕の神として霊験あらたかに此の地に鎮まり拾い、今から約二千年前、仲哀天皇の即粒二年春二月に天皇、皇后、御同列にて百官を率いて敦賀に御幸あり笥飯の気いの行宮を営み拾うた。その..
天八百萬比咩命は上古より養蚕の神として霊験あらたかに此の地に鎮まり拾い、今から約二千年前、仲哀天皇の即粒二年春二月に天皇、皇后、御同列にて百官を率いて敦賀に御幸あり笥飯の気いの行宮を営み拾うた。その後天皇は熊襲の変を聞こし召され、紀州へ御巡幸せられ陸路山陽道を御通過、山口県へ向はせ給う。皇石は二月より六月まで此の常宮にとどまり絵い、六中の卯の日に海路日本海を御渡りになり、山口県豊浦の宮にて天皇と御再会遊ばされ拾うた。此の由緒を以って飛鳥時代の大宝三年(七〇三年)勅を以って神殿を修造し、神功皇后・仲哀天皇・応神天皇・日本武命・玉知命・武内宿禰命を合わせまつられた。爾来、気比神宮の奥宮として一体両部上下の信仰篤く、小浜藩政まで気比の宮の境外の摂社として祭り事がとり行われた。明治九年社格制度によって県社常宮神社となって気比神宮より独立いたした。
須可麻大神
旧無格社