いしぶつあん
三重県度会郡玉城町原
玉城町原地区にある三十三体石仏と円通山石仏庵の由緒。
原地区の東の入り口で分岐する右側の道は熊野街道の古道で、小さな丘の中央に観音堂があり、西国三十三か所霊場の観音さまを表した三十三体の石仏が..
原地区の東の入り口で分岐する右側の道は熊野街道の古道で、小さな丘の中央に観音堂があり、西国三十三か所霊場の観音さまを表した三十三体の石仏が並んでいます。 観音堂は文化5年(1808年)に寄進されたといわれています。観音堂の左側に金毘羅社、右側に秋葉堂があり、古道を隔てて円通山石仏庵がありました。
石仏庵は文政8年(1825年)3月、三河国(愛知県)篠塚村謂信寺冝然大和尚の隠居寺として草創されたと伝えられる尼寺でした。寺堂は明治23年(1890年)庄出の善哉寺を移して再建されましたが昭和23年廃寺になり、本尊道引観音や秘仏延命子安地蔵は同地区の光徳寺に預けられています。跡地は建て直されて原小集会所になっています。 境内には巡礼道引観音碑が建てられていて「くまのぢを道びきたまへかんぜおん きよきふじやうの人をえらばず」という御詠歌が彫られています。
江戸時代は観音信仰が盛んで、伊勢神宮参宮をすませた道者は田丸で旅装束を整え、西国巡礼となって杖を引き、三十三体仏に巡礼の無事を祈って旅立ちました。そして無事巡礼を果たした人は感謝の気持ちを表わすために観音堂の石柵に石柱を寄進したといいます。
現在廃寺となっているが、三十三体観音堂、巡礼道引観音碑などは現存している。熊野古道伊勢路の要所であった。
円通山
現在跡地が原小集会所となっているのでここを利用
無し