しんめいじんじゃ
大分県佐伯市向島2丁目
元禄四年旧暦十月、内町地域に大火があり、土井丁、中島全域、廣小路、神明通り古市町の一部百余戸数百人が一瞬にして我が家を失う事となった。丸屋庄伊右ヱ門、福屋勘助、大黒屋清蔵、外有志により、私財を投じて..
元禄四年旧暦十月、内町地域に大火があり、土井丁、中島全域、廣小路、神明通り古市町の一部百余戸数百人が一瞬にして我が家を失う事となった。丸屋庄伊右ヱ門、福屋勘助、大黒屋清蔵、外有志により、私財を投じて救護所を開設し、地域住民総出で被災者の救済に当たった。区内にあった畳一毎日ほどの神明神社を現在地に移し、社を新築して四季折々の、祭事を行った。旧暦十月十五日の冬祭りを本祭として、甘酒をふるまい、参拝者、地域住民の安全祈願を行ってきた。尚、事有るごとに合議のうえ、諸木橋などを架け、河岸を整備し茶屋・宿を設け、海路陸路の交通の便宜を図り、商業地域として、急速に発展をなし得た所以である。明治にいたり、歓楽地には提灯を、商業地には見立て細工を施し、遠来の客を呼び、人の波にて漂う程の盛況ぶりを物語った。内町の歴史は、神明神社と共に歩み、其の功績は、代々地域住民に引き継がれてきた。よって神明神社は、商売繁昌の神社と言われる。
註 丸屋庄伊右ヱ門の先祖は城造りの名士で、鶴屋城築城の責任者でもあった。
佐伯の繁華街の発展を見守ってきた神社。商売繁昌の神社といわれる。
天照皇大神(推定)、宇迦之御魂神(推定)
佐伯駅から徒歩約26分
常時
無料
約3分
無し