みおじんじゃ みをじんじゃ
滋賀県高島市拝戸716
水尾神社は、かつて水尾川を隔てた河南社(こうなみしゃ、南本殿)・河北社(こうほくしゃ、北本殿)の二社から成ったが、現在は河南社の一社から成る。社伝では、磐衝別命は猿田彦命の天成神道を学ぶために猿田彦..
水尾神社は、かつて水尾川を隔てた河南社(こうなみしゃ、南本殿)・河北社(こうほくしゃ、北本殿)の二社から成ったが、現在は河南社の一社から成る。社伝では、磐衝別命は猿田彦命の天成神道を学ぶために猿田彦命を祀る当地に来住したという。そして、朝夕に猿田彦命を祀る三尾大明神(高島市永田の長田神社)を遙拝したのでこの地は「拝所(のち拝戸<はいど>)」と称され、その住居跡は「拝所御所」と称されたと伝える。磐衝別命は当地で亡くなったため、その子・磐城別王は磐衝別命を三尾山に埋葬し、磐衝別命を祀る社として「河南社(現在社)」を創建したという。
続いて社伝によると、応神天皇の第十一皇子・速総別王も天成神道を学ぶため当地に来住し、その4世孫である彦主人王は、磐城別王5世孫の振姫を妃に迎えた。そして振姫は水尾神社の拝殿を産所として、天迹部王(あまあとべ)・男迹部王(おとあとべ)・太迹部王(おおあとべ:第26代継体天皇を指す)の3子を同時に出産したという。その出産時、彦主人王は仮社を建てて安産を祈ったといい、のち天迹部王がその仮社跡に両親を祀る三重生大明神(みえなり-)を創建したのが「河北社」の始まりで、その後同社は比咩神(振姫)のみを祀るようになったと伝える。この河北社は昭和46年(1971年)に倒壊したため、現在は河南社(現在地)に遷座している。 (Wikipediaより)
水尾神社(みおじんじゃ/みをじんじゃ)は、滋賀県高島市拝戸(はいど)にある神社。式内社(名神大社)で、旧社格は県社。神紋は「菊」。
磐衝別命 振姫命
式内社(名神大2座) 旧県社
流造
歳旦祭 (1月1日)、左義長祭 (1月15日)、祈年祭 (3月16日)、鎮火祭 (4月15日)、例祭 (5月3日)、泥落祭 (6月初旬)、百燈祭 (6月26日)、敬老祭、八幡神社例祭、戦没者慰霊祭 (9月15日)、秋葉神社例祭 (9月18日)、秋正月 (10月17日)、新嘗祭 (11月23日)
あり