やまざきじんじゃ
和歌山県岩出市赤垣内108番地
人皇七五代崇徳天皇の御代大治元(1126)年丙午5月、鳥羽天皇が根来寺を下山され熊野三山へ向われる途中、真田の里まで進まれたとき、にわかに天候が変わり、雷雨はげしく行列を進めることが出来なくなり、お..
人皇七五代崇徳天皇の御代大治元(1126)年丙午5月、鳥羽天皇が根来寺を下山され熊野三山へ向われる途中、真田の里まで進まれたとき、にわかに天候が変わり、雷雨はげしく行列を進めることが出来なくなり、お供の人々が心なやみ、天地の神にお祈り申し上げたところ、雲間より神様がお姿を現し、わたくしは、大山津見の御子、大市姫神なり、雷雨をすぐに鎮めますからお発ち下さいというと、たちまちに晴天白日が輝き、神のお姿が雲に乗って消え去り、天皇はしばらくここに、御輿をとめられたので、この地を輿止めと呼び、松の大木が繁っていたが今はその松林もなく人々から忘れられている。 その後、上皇がこのことを大変よろこばれて神社の神官をおよびになり、詳しく事情をおききになられ、お使いの人をお詣りさせ、幣帛料・物品をお供えされたということですが、天正年間、秀吉の根来攻めにより兵火にあって、本社・摂社及び古い記録などが焼失してしまった。 その後、仮の社殿を建て「雷除祈願」として今も大市姫明神、雷除祈願所と記された年代不詳の古い石碑1基が残っている。 徳川頼宜候も祈願されたということで当時の老松が1本残り、雷除の松と呼ばれ(日本名木集に掲載された事があると聞く)、昭和4年2月に県の天然記念物に指定され近在近郷の人々にありがたい松と親しまれていたが、昭和10年惜しくも枯れ果てて、直径1m80㎝の根元一切を記念に残して伐採された。 明治40年、大市姫神社を山崎神社と改称する。
山崎神社(やまざきじんじゃ)は、和歌山県岩出市にある神社である。
大市比売命 大山津見命 須佐之男命
木造銅瓦葺流造