だいじじ
岩手県盛岡市大慈寺町5-6
福聚山大慈寺の創建は寛文13年(1673)、徳真道空が萬福寺(京都府宇治市にある黄檗宗大本山)で修行の後に盛岡に入り現在の盛岡鷹匠小路付近に草庵を設けたのが始まりと伝えられています(元禄14年:17..
福聚山大慈寺の創建は寛文13年(1673)、徳真道空が萬福寺(京都府宇治市にある黄檗宗大本山)で修行の後に盛岡に入り現在の盛岡鷹匠小路付近に草庵を設けたのが始まりと伝えられています(元禄14年:1701年に現在地に境内を移す)。盛岡藩の4代藩主南部行信の娘である光源院(麻久姫・幕子)は黄檗宗を篤く帰依し大慈寺を菩提寺として境内に葬られた事から南部家の庇護となり寺領63石が安堵され末寺10カ寺を擁する大寺院に発展しました。明治17年(1884)の火災により伽藍の大部分が焼失しましたが、盛岡市出身の原敬の菩提寺という事もあり山門など堂宇が再建されました。
大慈寺(だいじじ)は、岩手県盛岡市大慈寺町に所在する黄檗宗寺院。山号は福聚山。本尊は如意輪観音。盛岡藩主南部行信の娘・光源院や第19代首相原敬の墓所。盛岡観音三十三箇所第6番札所で盛岡三十三観音の第6番である十一面観音を祀る。開基は徳...
黄檗宗
如意輪観世音菩薩
盛岡三十三観音霊場 第6番