たなぶじんじゃ
青森県むつ市田名部町1-1
田名部神社の創建は不詳ですが下野国宇都宮の示現太郎大明神の分霊を宇曾利山(恐山を構成している山)に勧請したのが始まりとされ、康永4年(1341)の鰐口が伝わっている事から少なくともこれ以前から鎮座し..
田名部神社の創建は不詳ですが下野国宇都宮の示現太郎大明神の分霊を宇曾利山(恐山を構成している山)に勧請したのが始まりとされ、康永4年(1341)の鰐口が伝わっている事から少なくともこれ以前から鎮座していたと思われます(その他にも年代不詳の古鏡も伝わっており歴史が感じられます)。その後宇曾利山から大平村荒川一本松に遷座し、22代別当小笠原丹後の霊夢に御告げがあり現在地に遷座しました。江戸時代に入ると盛岡藩(藩庁:盛岡城)の藩主南部家から海辺総鎮守・北部総鎮守として崇敬庇護され社領100石と社格5千石が認められ、例祭には藩主の代参として田名部代官が参拝しその報告も早馬で本城のある盛岡まで届けられました。元和2年(1616)に火災により社殿、社宝、記録などが焼失しましたが程なく再興されています。江戸時代には示現太郎大明神と称し、神仏習合していましたが明治時代初頭に発令された神仏分離令により仏式が廃され社号が田名部神社に改められ社格として郷社に列しました。
味租高比古根命 - 阿遅鉏高日子根神 誉田別尊 - 応神天皇 大山積神
府県社
当神社の創立年代は元和二年の火災により焼失し不明ですが 康永四年 (興国二年・1341) の鰐口と年代不詳の古鏡が残されています。
毎年8月18日~20日に行われる下北最大の祭り田名部まつり(田名部神社例大祭)が行われる神社
下北駅から車で10分
有ります