こうあんじ
東京都府中市 片町2丁目4−1
【由緒書きより】 当山は往古田原藤太秀郷公の館跡といわれ、その後市川山見性寺(宗派不明)が建立されたと伝えられている。 しかしその後に足利尊氏公将軍となるやこの寺を改めて、安国利生の祈願所として..
【由緒書きより】 当山は往古田原藤太秀郷公の館跡といわれ、その後市川山見性寺(宗派不明)が建立されたと伝えられている。 しかしその後に足利尊氏公将軍となるやこの寺を改めて、安国利生の祈願所として、龍門山高安護国禅寺を再建した。 これは尊氏が全国(六十六ケ国二島)に建立した安国寺の一つで、武蔵国のそれが当山である。 当時は鎌倉建長寺の臨済宗で、開山は大徹心悟禅師であった。 時に歴應年間と伝えられる。 その昔は大伽藍で塔頭十院末寺も七十五院あり、寺領も広く東は代田村、西は向山、北は山口に及んだという。 その後兵乱の間しばしば将軍家の陣所となり、小田原北条氏の庇護も受けたが、暦年の兵戦を経て衰えて大刹の姿も失っていった。 時に慶長年間青梅の海禅寺第七世関州徳光禅師が、当山を再興し、済派を改めて曹洞宗となり今日に至る。 開基足利尊氏公の発願である安国利生の祈願所として、毎朝朝課前に、大般若経転読を行っている。 本尊釈迦牟尼如来(文殊、普賢の三尊仏)
龍門山
等持院
曹洞宗
暦応年間(1338年~1341年)
七観世音菩薩
大徹心悟
足利尊氏
多摩川34観音、33番
有り