たかまつはちまんぐう
山口県熊毛郡田布施町麻郷2503
平安時代の仁和三年(八八七)に、豊前国宇佐八幡宮より分霊を勧請し、金長七郎が高松山の麓に奉斎する。その後国司尊崇の神社として崇敬を享け、鎌倉時代の貞応元年(一二二二)から御神幸が始まった。戦国時代の..
平安時代の仁和三年(八八七)に、豊前国宇佐八幡宮より分霊を勧請し、金長七郎が高松山の麓に奉斎する。その後国司尊崇の神社として崇敬を享け、鎌倉時代の貞応元年(一二二二)から御神幸が始まった。戦国時代の文明十七年(一四八五)、大内政弘が本殿・拝殿・回廊等を造営する。永正十年(一五一三)に社殿葺替えと釣屋の造営があり、天正五年(一五七七)に本殿・釣殿が再建された。江戸期に入り、寛文九年(一六六九)に拝殿再建、元禄十年(一六九七)には社殿造営、享保七年(一七二二)には拝殿が新たに造営された。正徳・享保(一七一一~)の頃から明治初年まで、上関宰判の勘場が当地にあったこともあり、郡中の祈願所として、五穀成就・祈雨止雨・武運長久等の祈願祭を斎行したので、代官・郡中の庄屋・畔頭等の参拝が多かった。文政八年(一八二五)に御殿造営、文久二年(一八六二)に釣殿・拝殿が再建された。明治六年(一八七三)、郷社に列せられ、明治二十二年(一八八九)には本殿が再建され、大正十三年(一九二四)には幣殿・拝殿を再建し、祓舎・神饌所を新に造営する。昭和十五年(一九四〇)、皇紀二六〇〇年記念事業として、氏子の勤労奉仕により神社林を造成し、青年団の勤労奉仕で境内地及び遙拝所の整備をする。
(主祭神)誉田別尊 比売神 大帯姫命 (配祀神)天照皇大御神 足仲彦命
例祭(九月二十三日)、祈年祭(五月十日)、新嘗祭(十二月八日)
有り