ほんようじ
兵庫県三木市本町2丁目3−6
本要寺の創建は不詳だが古くは天台宗の寺院で、正和4年(1315)に魔訶一院日印上人に感化された事で日蓮宗に改宗し寺号を本要寺に改称している。 天正6年(1578)、羽柴秀吉による播磨侵攻により三木..
本要寺の創建は不詳だが古くは天台宗の寺院で、正和4年(1315)に魔訶一院日印上人に感化された事で日蓮宗に改宗し寺号を本要寺に改称している。 天正6年(1578)、羽柴秀吉による播磨侵攻により三木城が落城し、その兵火により本要寺も本堂以外は被災。秀吉は本要寺本堂を本陣と定め、この地で城下町の再建を采配、本要寺を城下にある寺院の主席に命じた。 秀吉の時代以降、制札により赦免地となっていたが延宝5年(1677)、改めて検地が行われ租税対象となっった。それを反対した周辺の庄屋が集まり協議した結果、岡村源兵衛と大西与三右衛門が江戸に派遣され必死の説得の結果、従来どうり赦免地を勝ち取った。宝永4年(1707)には境内に顕彰碑が建立され例祭には義民祭法要が行われてる。
吉祥山
日蓮宗
正和4年(1315年) (天台宗より改宗)
魔訶一院日印上人
三木(神戸電鉄線)駅出口から徒歩約4分 三木上の丸駅出口から徒歩約7分 恵比須駅出口から徒歩約21分
有り