まぐらてんまんぐう
山口県宇部市西万倉1774
(公式URL抜粋) もともとは宮尾八幡宮の摂社であり、宮尾の人々により祭が代々受け継がれていました。大正12年、船木鉄道が万倉まで開通し、駅前通りの栄町が商店街として栄えるにつれ、昭和3年より商店..
(公式URL抜粋) もともとは宮尾八幡宮の摂社であり、宮尾の人々により祭が代々受け継がれていました。大正12年、船木鉄道が万倉まで開通し、駅前通りの栄町が商店街として栄えるにつれ、昭和3年より商店街を中心にした、万倉全体の祭として賑うに至った。祭の最盛期には栄町の商店街は人の並みに埋もれた。網代車(アジログルマ)奴(ヤッコ)道中等の祭典具は昭和4年に取り揃えられた。浦安(ウラヤス)の舞は、もともとは万倉護国神社に奉納され、一時途絶えていたものを、時の総代方の尽力により天満宮に奉納されるに至ったものである。