こうだいじ
茨城県水戸市上水戸3-1-39
正式には遍照山義宣院(へんしょうざん ぎぜんいん)光台寺という浄土宗の寺院で、佐竹義宣が天正11年(1583年)水戸城西新本(現在の栄町)に開基、雲雪上人が開山しました。その後寛文年中(1661年~..
正式には遍照山義宣院(へんしょうざん ぎぜんいん)光台寺という浄土宗の寺院で、佐竹義宣が天正11年(1583年)水戸城西新本(現在の栄町)に開基、雲雪上人が開山しました。その後寛文年中(1661年~1673年)に徳川光圀公の命で現在の地に移りました。現在残る本堂は、善随上人により明治44年に建てられたものです。
この寺については、義僕甚内(ぎぼくじんない)が故人となった主人父子のため僧籍に入り一生その菩堤を弔ったという逸話が残されています。
ここ光台寺は藤田家の堂域であり、過去帳に俗名藤田誠之進と東湖の諡があります。寺内には彰考館総裁吉弘菊潭(きくたん)、水府温古録の著者高倉逸斉、桜田烈士岡部三十郎、長谷善四郎の墓や明治の文豪菊池幽芳(ゆうほう)の墓があります。
光台寺は、茨城県水戸市にあり、 天正11年(1583)に開創された 浄土宗の寺院です。
遍照山
義宣院
浄土宗
阿弥陀如来
佐竹義宣が天正11年(1583年)水戸城西新本(現在の栄町)に開基。
遍照山義宣院(へんしょうざん ぎぜんいん)光台寺
保和苑入口バス停前
有り