つばきぎしじんじゃ
三重県鈴鹿市山本町椿岸神社
鈴鹿山系に源を発する三滝川と矢合川が年々歳々土砂を運び次第に海岸線も遠のき、やがて日本が国家として成り立つ頃には、このあたりに多くの人が住むようになった。 古代のことは書物が残っていないため詳しい..
鈴鹿山系に源を発する三滝川と矢合川が年々歳々土砂を運び次第に海岸線も遠のき、やがて日本が国家として成り立つ頃には、このあたりに多くの人が住むようになった。 古代のことは書物が残っていないため詳しいことは判っていないが、奈良の大安寺にある今から約1,250年前の天平20年の古文書には、椿社の田畑が未開墾も含めて60町有ったと記されている。 このように、広く土地が開かれ発展した桜の地には、商業も栄んとなり家並みが整い智積大寺も創建されてこの地方の文化的中心地となった。延喜の式制(約1,100年前)では国幣社が列せられるほど神威大いに輝いた。 時は移って永禄2年(約450年前)、それまで椿尾にお祀りしていた神社が兵火にかかって社殿を消失してしまったのと村が東の方に遍して開け、神社が村のはづれの遠隔の地となり、お参りやお祭りに不便となっていた為に、七郷(桜、智積、一色、森、赤水、海老原、平尾)の氏子が合い寄って協議をした結果、村の中心の現社地に移すことになった。七つの村のそれぞれの清土を持ち寄って土盛りをし、樹木を植え神殿を御造営して大神様をお遷し申し上げた。 今の境内の土質が七郷となっているのはこの時のことに依っている。以来当社は七郷の総社と称され、七村の氏子の崇敬はますます篤いものとなった。
椿大神社の別宮
天之鈿女命
無料
有り