とうこうじ
東京都中野区上高田5-21-5
当寺は昭和20年5月の戦災によって、本尊薬師如来・脇侍・過去帳および数領の法衣以外の一切を焼失、現在の構築・什物類はすべて戦後の成立である。 寺の生い立ちは江戸時代初期の頃(開山第一世法印秀範和尚..
当寺は昭和20年5月の戦災によって、本尊薬師如来・脇侍・過去帳および数領の法衣以外の一切を焼失、現在の構築・什物類はすべて戦後の成立である。 寺の生い立ちは江戸時代初期の頃(開山第一世法印秀範和尚は明暦2年12月入滅)。壇徒墓地には、慶安・寛文・貞享・元禄等の立年をもつ墓石が現存、墓地中央部に元禄三年刻銘の地主14人による弥勅半伽像が「為出離三界往生短楽」建立されており、農民の菩提所としての開幕が推察される。 その後、五世法印宥真和尚を法流初祖として新義真言宗となり、その三世(七世)法印満盛和尚の代には、明和年間に七間半五間半の本堂および庫禅・台所を次ぎ次ぎに構築し寺院としての規模と機能を新たなものとしている。以後九世までの活動ははっきりしない。 明治中期、十世権中僧都宥年和尚は入山して後地域との連帯教化につとめ、十一世大僧正浄賢和尚・十二世現住職は檀徒と共にその努力を継ぐ。昭和9年落慶をみた新本堂は不幸にして烏有に帰したものの、戦後の精神界の動揺を憂えて本堂・客殿・庸祖・講堂と順次構築を拡げている。
日照山
阿弥陀院
真言宗
豊山派
不詳(江戸初期)
薬師如来
豊島八十八ヶ所霊場87番札所
西武新宿線・新井薬師駅下車7分