みついしじんじゃ
北海道日高郡新ひだか町三石本町302
~北海道神社庁HPより~ 当町開拓者小林家の祖栖原屋半次郎(小林屋半次郎)が姨布の地に創立し、2代、3代の重吉が再造営した辨天社も明治8年に至り神社制度の改革に伴う取調べの節、社格未定につき郷社に..
~北海道神社庁HPより~ 当町開拓者小林家の祖栖原屋半次郎(小林屋半次郎)が姨布の地に創立し、2代、3代の重吉が再造営した辨天社も明治8年に至り神社制度の改革に伴う取調べの節、社格未定につき郷社に列せられ、社名を稲荷神社と称した。明治33年12月27日、境内も狭隘となり、社殿も腐朽したので三石郡姨布村越樋壱番地(現在の本町245番地)に移転改築を願い出て明治34年10月17日建坪15坪6合5勺の社殿を建立して遷座祭を執行したが許可証が交付されないので、明治36年7月30日再度出願し、同年12月23日に落成届を提出し、ここに鎮座されることとなった。その後、昭和17年10月現在境内地(本町302番地)に遷座し、その後、昭和56年の裏山崩壊により社殿が倒壊し、昭和60年10月に社殿を改築し現在に至る。