おごせそうしゃかすがじんじゃ
埼玉県入間郡越生町大字西和田317
延暦元年(782年)創建 内裏山獅子岩の傍に祭祀されたるを征夷大将軍坂上田村麻呂東夷征伐の際、現在の地に遷し宮殿を築し、内裏大明神を祀る。 平将門が当地に内裏を置いたとされ、その後、延喜年中..
延暦元年(782年)創建 内裏山獅子岩の傍に祭祀されたるを征夷大将軍坂上田村麻呂東夷征伐の際、現在の地に遷し宮殿を築し、内裏大明神を祀る。 平将門が当地に内裏を置いたとされ、その後、延喜年中常陸大據、平国香(将門の伯父)が修繕、松山城々主上田能登守の再建を経て、寛政10年4月内裏大明神春日大明神改め、春日神社、越生十六郷総鎮守と定む。 慶安3年将軍徳川家光より社領を賜う。明治4年上地令によりこれを奉遷。平安末期藤原季綱公、越生郷に移住し、阿諏訪山に遊猟せし時氏神秩父郡高山の峰に光を放ち、季綱公之を謹み拝し当社に祭ると伝承されている。 内裏と称するは越生郷内、内裏宮常住、明応3年と有る。内裏の称累代社家石井氏の家号と同じくするもの也。 昭和20年以降国家の庇護を離れ氏子崇敬者皆様の基とし現在に至る。 現在の社殿は今上陛下御大典(平成5年)の折修繕されたものである。
平成28年8月吉日 春日神社宮司記
天津児屋根命、武甕槌命、斎主命
創建年記不詳
内裏の宮
武蔵野神社巡拜記
例大祭(10月9日)
有り