じょうふくじ
和歌山県和歌山市北新1-7
当寺中興の恵空上人は、兄の善覚正恵とともに、一生を講義と著述に専念した学僧で、紀州、京都、各地で講説し、仏教学だけでなく国語国文学に精通し、多くの著述を残している。「徒然草参考八巻」「節用集大全七巻..
当寺中興の恵空上人は、兄の善覚正恵とともに、一生を講義と著述に専念した学僧で、紀州、京都、各地で講説し、仏教学だけでなく国語国文学に精通し、多くの著述を残している。「徒然草参考八巻」「節用集大全七巻」「元享釈書和解二十三巻」「法音抄五巻」等の著書は、現在でも格好の研究資料として使われている。 当寺は、明治22年の和歌山市全域にわたる大水害で本堂・諸堂は大破し、昭和初期に現本堂が再建された。昭和20年の空襲には被災をのがれ、古い仏像等が現在でも保持されている。特に本尊阿弥陀如来(鎌倉時代)秘仏厄除観音(14世紀頃)は、古くから安置されている貴重な仏像である。恵空上人の自著「節用集大全」にも厄除観音の由来も載っており、毎年2月(旧暦)の初午と二の午には秘仏厄除観音が御開帳される。
浄福寺は、慶長17年(1612)正覚祐俊の開基にして、もとは現在の大工町にあって一向宗の道場であった。 その後、寛文6年(1666)祐俊の三男である恵空上人の時、天台宗に改め徳川家菩提寺和歌浦雲蓋院の末寺となる。
向陽山
花山院
天台宗
慶長17年(1612)
阿弥陀如来
正覚祐俊
寛文6年(1666)
恵空上人
和歌山西国三十三ヵ所 番外花山院