ほうきょうじ
群馬県桐生市西久方町1丁目7-26
開山日徳上人は戦国時代作州(岡山県)の豪族能登谷家の裔にして、江戸期を通じ四谷鮫ヶ淵旗本寄合席花房志摩守に代々仕えた武士で全次郎と称した。幕末薩長に抗すも戦運利なく、戦い敗れた後は、赤城山中に篭り、..
開山日徳上人は戦国時代作州(岡山県)の豪族能登谷家の裔にして、江戸期を通じ四谷鮫ヶ淵旗本寄合席花房志摩守に代々仕えた武士で全次郎と称した。幕末薩長に抗すも戦運利なく、戦い敗れた後は、赤城山中に篭り、仏門に帰依し、昼夜となく法華経を読誦。やがてその姿に感動した信徒により桐生六反谷(現在の西久方町の一部)に一宇が建立された。現在の法経寺である。 大正年間、4世の佐藤恵淨は日蓮宗100日間の大荒行に入行、その折、大黒天を感得し、現在に至るまで60日に一度の大黒天縁日(甲子)には参拝客でにぎわっている。 (桐生仏教会 ホームページ)
妙光山
日蓮宗
明治23年(1890年)
久遠実成釈迦如来
信行院日徳上人
金子一族
桐生のお寺散策マップ16番
あり