こうみょうじ
愛知県豊田市下市場町5-20
織田信長の家臣「坂井久蔵」が姉川の戦いで戦死し、その死を惜しんだ余語勝久と余語正勝が久蔵に似せた地蔵菩薩を彫り、自らの屋敷で供養していたという。その後、その屋敷を譲り、光明寺として開基し坂井久蔵を改..
織田信長の家臣「坂井久蔵」が姉川の戦いで戦死し、その死を惜しんだ余語勝久と余語正勝が久蔵に似せた地蔵菩薩を彫り、自らの屋敷で供養していたという。その後、その屋敷を譲り、光明寺として開基し坂井久蔵を改宗大施主としたのが始まりという。
遍照山
浄土宗
元亀元年(1570年)
阿弥陀如来
三河新四国霊場 9番、10番札所
あり
なし